分类:论文下载网 更新时间:11-17 来源:网络
序 論
中国にしても日本にしても、「鬼」というものが存在されている。「鬼」は大昔から誕生して、その「生命力」がとても長く、いつまでも生きているといわれている。現代人は普通の生活の中で多かれ少なかれ鬼の話に触れる。鬼は人間に怖いイメージを与えるにもかかわらず、私たちの生活に近く存在されているそうである。
私は日本語を勉強して始めて、日本語の「鬼」と中国語の「鬼」は漢字で書くのが同じと分かった。日本語を初めて学ぶ人には、もしかすると中日両国の「鬼」の意味は同じだと誤解されているが、実際にはそうではなく、日本人の心中の鬼と中国人の心中の鬼とでは、大きな違いがある。中国人心中の鬼は死人の魂と言うものであり、日本人心中の鬼は妖怪というものであろう。中国人心中の鬼は日本では“亡霊”、“幽霊”というもの。日本の民間故事の中で、鬼は長く流れている妖怪で、幽霊に比べて大きな違いがある。
そいうわけで、本論文では、これをテーマに、日本の鬼文化を検討してみることを決めた。中でも主に日本の諺の中での鬼の姿、日本民話の中での鬼のイメージ、及び中日両国の民俗文化「中元節」の比較など、三つの方面に重点を置いて考察してみることにした。
本 論
第一章 日本の諺における鬼の姿
日本のことわざは日本民族が生産、労働と生活の過程中に出て来たものによって作り出されてきたものだから、それは必ず日本民族の特定の地理、歴史、風俗習慣、文化と民族心理と切っても切れない関係があると思う。ここでは、日本のことわざを着眼点として鬼に対する日本人の印象を調べ、日本の鬼文化の一隅を考察してみる。
1.1諺から鬼の姿を見る
古くから現在に至るまで人気の妖怪だけあって、鬼に関することわざはたくさんある。日本人にとって鬼といえば,最初連想する姿は何であろうか。ここで諺からそれを見てみよう。
1.鬼も角折る(比喻像鬼一样的坏人也会因为某种机遇而彻底改变成为善人)
この諺の意味は鬼のような凶悪な人でも何かのきっかけで悪いことをやめ、よいことをしようと心がけたり、善人になったりするということだ。この諺では鬼は凶悪なもののたとえ。
2.鬼の目にも涙(比喻冷酷无情的人有时候也会发慈悲之心)
この諺の意味は普段、鬼のように冷酷無慈悲で厳しく見える人でも、時には同情や哀れみから、目に涙を浮かべることもあるということだ。「鬼の血目玉にも涙」とも言える。この諺では鬼は冷酷無慈悲なイメージだ。
3.鬼に衣(①鬼本来是赤裸着身体,不需要衣服的。比喻不必要的或者不相称的事情。②比喻表面看起来柔和,内心却很恐怖)
この諺は二つの意味がある。一つ、鬼はもともと裸で衣服を必要としないところから、ここで不必要なもののたとえだ。二つ、鬼が僧衣を着ていることから、表面はやさしそうに見えるが、心の中は恐ろしいことのたとえだ。この諺では鬼は人に怖い印象を与える。「狼に衣」はこれと同じ意味だ。
4.鬼瓦にも化粧(人是衣服马是鞍)
この諺は醜くいかつい女性であっても、化粧をすれば少しは美しく見えるという意味だ。これも鬼の醜い姿が与えられている。「馬子にも衣装」も言える。
5.鬼も十八番茶も出花[50](丑女妙龄也好看,劣茶初泡味亦香/女大十八变)
この諺の意味は醜い鬼でも年ごろになれば少しは美しく見え、粗末な番茶でもいれたばかりは香りがある。つまり、器量が悪くても年ごろになれば少しは娘らしい魅力が出てくるということの意味だ。ここから、鬼はすべての醜い姿の代表だと言えよう。
6.鬼も笑顔
この諺は醜い鬼でも笑っている顔は愛嬌があるという意味だ。すなわち、だれでも愛嬌がある方が他人から好かれるということだ。これも鬼の醜いイメージがわかる。
以上揚げられている諺の日本語説明から見ると、鬼は人にどんなイメージを示しているかわかる。つまり日本人が、「鬼」と言われたら、一般的に連想する姿は、頭に角と巻き毛の頭髪を具え、口に牙を有し、指に鋭い爪が生え、虎の毛皮の褌を腰に纏い、表面に突起のある金棒を持った大男である。これは、丑の方と寅の方の間の方角を鬼門と呼ぶことによるもので、牛の角と体、虎の牙と爪を持ち、虎の皮を身に付けているとされた。表面上のこの姿は、一般に平安時代に確立したものである。全体的に鬼といえば、人々は一般的に醜い、凶悪な姿が連想される。例えば、例中の1~3は鬼の凶悪な姿、4~6は鬼の醜い姿が分かる。
1.2諺から鬼のイメージを見る
日本の鬼は非常に多種多様な現れ方をしており、ある特定のイメージで語ることは難しいであるが、ここで基本的に2種類に分けてみてみよう。
1.2.1鬼に関する悪いイメージ
まず次の諺を挙げてみよう
1、鬼の居ぬ間に洗濯(阎王不在,小鬼翻天)
この諺は怖い人や気兼ねする人がいない間に、思う存分くつろぐことの意味だ。
「猫のいぬ間に鼠が遊ぶ」はこれと同じ意味だ。
2、鬼の空念仏(猫哭耗子假慈悲)
この諺の意味は無慈悲で残酷な心を持った者が、うわべだけ慈悲深そうに振舞うことだ。この諺は鬼は羊の毛をまとった狼みたいだ。
3、鬼が仏の早変わり(暗地里做坏事的人一到人前就伪装成善人)
この諺の意味は陰では鬼のように凶悪なことをする者が、人前では仏のように善人らしく振る舞うこともあるということのたとえだ。
4、渡る世間に鬼はない
この諺の意味は世間には鬼のように冷たい人ばかりでなく、心が温かくて親切な人もいるということだ。ここで鬼は悪い人を代表する。「渡る世界に鬼はない」ともいう。
5、嫁に小姑、鬼千匹
この諺の意味は嫁にとって、意地悪な目で見ている小姑は一人で鬼千匹に当たるくらいの、やっかいでこわい存在であるということだ。この諺で鬼は意地悪なイメージだ。
6、鬼が住むか蛇が住むか(吉凶莫测)
この諺の基本的意味はどんな恐ろしいものが住んでいるかわからない。もっと深く釈明するのは人の心の底にはどんな考えが潜んでいるのか想像がつかない。あるいは前途にはどんな運命が待ち構えているのか予測できない。普段、人は意地悪なアイデイアがあるかどうかが確認できない時、よくこの諺を使う。中国語は“是不是心里有鬼”の意味だ。「鬼が出るか仏が出るか」はこれと同じ意味だ。
7、鬼を一車に載す
この諺の意味は恐ろしい鬼といっしょに車に乗るのは非常に恐ろしくて危険なことだ。ここで鬼の恐ろしいイメージが与えられている。
8、鬼の首を取ったよう(好像立了大功,如获至宝)
この諺は日常生活の中でよく使われる。例えば、
① 先生A:B組の生徒たちには参りましたよ。(对B班的学生我算是服了)
先生B:どうしたんです?(又怎么了)
先生A:私は黒板にうっかり誤字を書いてしまったら、鬼の首を取ったような騒ぎで授業にならんのですわ。(我一疏忽在黑板上写错了字,他们就如获至宝似的,吵闹的连课都没法上)
②綱を切って逃げて来た馬をつかまえてやった彼は、もうまるで鬼の首を取ったようないばり方だった。(他抓回了脱缰而逃的野马,满面喜气,得意洋洋)
上述した諺1から8にかけて見れば、鬼が人に与える印象はいずれも良くない方である。鬼は大体怖くて凶悪なイメージ。いずれにしても、鬼は人に醜い、冷酷、無慈悲などのイメージを示している。
1.2.2鬼に関する良いイメージ
まず次の諺を取り上げてみよう
1、鬼に金棒(如虎添翼)
この諺はもともと強く恐ろしい鬼にさらに強力な武器を持たせるという意味だ。つまり、ただでさえ強いうえに、さらに強力なものが加わることのたとえだ。ここから、鬼は強い力を持っているものだということがわかる。おおよそ「恐れない」という意味を表わす場合では多くこれを使う。例えば、
○如果你也一道去,那我就「什么也不怕了」/君がいっしょに行ってくれるなら鬼に金棒だ。
2、鬼の霍乱(比喻平素强壮的人稀奇的患病了;健康身体也有时害病)
「霍乱」は、中国では嘔吐や下痢を起こす急性消化器疾患の総称とされていた。日本では一般に日射病や暑気あたりをいったが、古くは腹痛や嘔吐を伴う急性胃腸病をさした。
この諺の意味はふだん非常に丈夫な人が、思いがけなく病気になるということだ。ここで鬼の強くて丈夫なイメージを示している。
3、鬼とも組む(敢于同鬼较量,比喻非常勇猛的样子)
ここで「組む」は組み打ちするとの意。この諺は非常に強そうに見えることのたとえだ、勇気のある人を喩えるときにはこれを使う。例えば、「あの人は鬼とも組む人だ」とかである。
4、鬼も寝る間
この諺の意味は恐ろしい鬼でさえ必ず眠っているときはあるということだ。すなわち、どんな人間にも必ずすきはあるということだ。この諺で、鬼は人間より強く存在するものだ。
5、鬼も頼めば人食わぬ
この諺の意味はどれほど相手のしたいことであっても、こちらから頼むと、あれこれ理由をつけて承知してくれないものだということだ。
6、知らぬ仏より馴染みの鬼[51](比起陌生人来说,不管关心如何,还是熟人好)
この諺の意味は仏様のようなよい人でも、よく知らない人ならば、鬼のような人でもよく知っている人に及ばない。つまり、どんな相手であっても、親しみのない者よりは、なれ親しんだ者の方がよいということだ。この諺では、鬼は親しいイメージだ。
7、鬼の中にも仏が居る(恶人之中也有善良人)
この諺の意味は鬼と呼ばれるような情けしらずの悪人の中にも、仏様のように優しい心の持ち主はいるものだということだ。この諺から見ると、鬼はすべて悪いものだとはいえないだろう。
8、鬼に瘤を取らる(看起来是受到损害,但结果却反而因此受益。指因意想不到的幸运而受到尊崇)
この諺は一見したところ不幸な目にあったようでいて、思わぬ幸運を招き、それまでの苦労の種がなくなることの意味だ。
上に上げた諺から見ると、鬼はおおよそ人に良い印象を与えている。例1から例8にかけては、鬼は強く存在している物だ。いぜれも鬼は人に勇敢、強いなどのイメージを示してくれている。
また鬼に対する日本人の認識は二面に分かれていることがわかる。一般的には鬼が人に与える印象は主にその凶悪な面だが、日本人が鬼に対するイメージはその凶悪な面に限らず、鬼の強い一面もある。もしかすると、日本人は強者に対して畏敬する気持ちを持っているから、鬼の強さを認識したら、鬼の悪い面で嫌うわけではないと思う。また、鬼の中で善良な者もあり、彼らは人間のために専らよい事ばかりをし、福祉を図ると日本人は思っている。これこそ日本文化の二面性と対立性を体現している。
第二章 日本の民話における鬼のイメージ
日本民間には妖怪についての伝説がたくさんある。これは島国で暮らす日本人が持っている神秘主義の心理とかかわりがあるだろうと思う。世の中では妖怪に対するイメージは一般的に恐ろしいものだ。しかし、日本人はきめ細かい民族だ。妖怪に対してのイメージはみんな悪くて恐ろしいものではないと思われている。多くの鬼は「妖怪」と「精霊」との間に存在するものだ。
日本の70%の妖怪の原型は中国から来て、20%はインドから来て、10%は日本の本土の妖怪だそうである。原因は知らないが、中国と同じように日本の妖怪の中でも女性が妖艶でとても大きい割合を占めた。日本の妖怪について絵には多くは性別のないもので、それらの妖怪はすべて女性化にしている。これは恐らく古代日本の女子が社会の最下層で生活する関係があるだろうと思う。妖怪は人間想像中の存在物なので、それに対するイメージは人によって異なるはずであろう。
ここで、日本の二つの有名な鬼退治伝説の物語を取り上げて、更に深く日本の鬼文化の一角を考察してみよう。
2.1桃太郎の伝説
「むかし、むかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると大きな桃が流れてきました。喜んだおばあさんはその桃を背中に担いで帰って行きました。
桃を切ろうとすると、桃から大きな赤ん坊が出てきました。二人は驚いたけれども、とても幸せでした。その子は桃から生まれたので、桃太郎と名づけられました。
…
…
鬼ケ島に着くと、お城の門の前に、大きな鬼が立っていました。桃太郎は大きな石を掴むと鬼に向かって投げました。猿は門に登り鍵を開けました。雉は鬼の目をつつきました。「こりあ参った。」鬼は逃げていきました。すると鬼達の大将が桃太郎の前に立ちはだかり、「生意気な小僧。俺様が懲らしめてやる。」と大きな鉄棒を振り回しながら言いました。桃太郎はすばやく鉄棒の上に飛び乗りました。
「悪い鬼、村人に悪いことをしたからには許せない。私のこぶしを受けてみろ。」
「アイタタ、ごめん。ごめん。許してくれ。降参だ。」
桃太郎は鬼の金や銀や織物や、荷車一杯の宝物を手に入れました。桃太郎とイヌとサルとキジは、元気よく家に帰りました。
おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
そして三人は、宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ。」
これは日本では誰も知っている民話だ。中の主人公桃太郎は日本ではとても有名だ。桃太郎は桃から出てきて、小さいけれども、悪い鬼を打ち勝った。ここから見て桃太郎は勇気、慈愛、孝行の精神を十分表している。今、桃太郎精神は日本人の心に深く生きている。その物語から見ると、日本人は強者を畏敬することが分かる。
2.2一寸法師の伝説
「昔々。子供のいない、年寄りの夫婦がいました。二人は神様に、「どうか子供を授けてください。」と熱心にお願いをしました。おかげで、嬉しいことに子供が生まれました。
でも、その子供は、親指より小さかったのです。そこで、一寸法師と名前を付けました。一寸法師は、何年経っても大きくなりません。
…
…
ある日、一寸法師とお姫様は、清水の観音様にお参りに行きました。道の途中で、突然大きな鬼が出て来て、お姫様を攫って行こうとしました。「待てっ」一寸法師が大きな声で言いながら、腰に差した針の刀を抜きました。鬼は、足元で針の刀を構えている一寸法師を見て、笑いながら言いました。
「お前のような子供など、一呑みだ。」そして、一寸法師を抓みあげると、ぺろりと飲み込んでしまいました。鬼のお腹中に入った一寸法師は、針の刀でチクチクとお腹中を刺しました。「痛い痛い。」鬼はお姫様を放り出し、一寸法師を口から吐き出すと、どこかに逃げて行きました。あとに、小さな小槌が落ちていました。「これは、打ち出の小槌という物。欲しいものが何でも出てくる宝物です。」
お姫様はそういうと、小槌を振って、「一寸法師の背出ろ背出ろ。」と言いました。
忽ち、一寸法師の背が伸びて、立派な若者になりました。そして、お姫様と一寸法師は結婚して、いつまでも幸せに暮らしたと言うことです。」
これは一寸法師についての物語。一寸法師は日本では有名な英雄だ。彼は身長は低いけれども、とても賢い、強い鬼を打ち負かした。
桃太郎と一寸法師はいずれも日本民話の中で鬼を制圧する代表的な英雄人物だ。その中で、鬼はいずれも反動的な役柄として存在されている。民俗学者の柳田国男[52]はこれらの特殊な経歴を持つ英雄を「小人兒」と言う。彼らは古代の日本人の信条として重要なものと見られる。つまり、このような神の力を持つ英雄だけあって、恐ろしい鬼を追い払うことができる。
日本の鬼文化にある著しい特色はこの文化に“英雄主義”が満ち溢れることであり、ここから、日本人の英雄に対しての好みも見られるだろう。これは前に上げた桃太郎と一寸法師の物語からよくわかる。こんな物語が古くても、日本人は大好きだ。伝統的な信仰からだけではなくて、そこからある快感も感じ取られる。即ち、ある正義で弱小の人が彼よりかなり邪悪で強大な人を打ち負かすという快感そのものだ。この意味からして、英雄主義は日本の鬼文化の代名詞とも言えるのだろうと私は思う。日本人は国技相撲が好きなのはこの心理に関係があるじゃないかと私は思う。
中国の鬼文化には、あまり英雄主義がないだろうが、その代わりに、愛と懐かしく思う気持ちがどこにも漂っていると思う。現に中国では、鬼についてのいろいろな物語に、“鬼たち”は自分の住んでいるところを出て、人の模様と変わって家へ帰って、みうちの者を見舞う場面がよくある。これらの伝説や物語は中国人の家族の人に対しての愛と思念を十分に反映されている。また、いろんな風俗習慣や祭祀儀式のところから、なくなった人に対しての生者の懐かしい気持ちも見える。
中国の鬼文化と日本の鬼文化にはいろいろな違いがあっても、いずれも自分の国の政治、風習、文学など分野の内容を反映されている。だから、中日“鬼文化”における比較によって、両国のほかの分野における文化差異も多少窺えるだろうと私は思う。
第三章 中日両国の民俗文化「中元節」の比較
日本の鬼は人が死んだあとの幽霊ではなく、ある種の妖怪であるといえる。日本では、鬼は非常に普通な妖怪だ。彼らの体の色によって、赤い鬼、青い鬼、黒い鬼などの種類に分けられる。中国の方は、一般的に言って、「鬼」は人が死んだあと、体を離れる霊魂であるといえよう。これらの霊魂は決まった形がないし、決まった出る場所もない。
ここで中日両国の鬼についての重要な民俗活動「中元節」を比較して、中日両国の鬼文化についての異同を検討してみよう。
中元節は中国では“死者を祭る日”としてとても重要な祝日で、日本では一般は“盂蘭盆会”と言う。中元節はいままで長い歴史が持っていて、中国から日本に入ってくるといわれている。しかし、1種の文化が1つの地域から他の地域に入って来る時、必ず当地の文化が入り混じって、それによってこの文化に生命力を与え、更に広く伝わっていくのだと思う。中元節も例外ではないと思う。中元節が日本に伝わってから、内容と形式の上ではきっと変わりが起こって、それによって“大和民族”の文化の1部分になっている。ここで、私は中日両国の中元節の異同について、大きく三つの方面に分けて検討してみる。
3.1中日両国の中元節の儀式の意義における相違点
「中元」はもともと中国の道教に由来したものだそうだ。日本では一般的にお盆と言う。お盆は正しく言えば「盂蘭盆会」という。これは実はインドの言葉の一つ、サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものだ。お盆のはじまりについて「盂蘭盆経」の中の親孝行の大切さを説いた教えが昔から知られている。それは、「お釈迦様[53]の弟子の中で、神通力一番とされている目連尊者が、ある時神通力によって亡き母が飢餓道に落ち逆さ吊りにされ苦しんでいると知った。そこで、どうしたら母親を救えるのか、お釈迦様に相談に行った。するとお釈迦様は、おまえが多くの人に施しをすれば母親は救われると言われた。そこで目連尊者はお釈迦様の教えに従い、夏の修行期間のあける7月15日に多くの層たちに飲食物をささげて供養したのである。すると、その功徳によって母親は、極楽往生がとげられました」という話だ。それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となったのだ。
日本では、推古天皇の14年(606)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられている。日本各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによって様々だが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられている。(浄土真宗[54]では霊魂が帰ってくるとは考えない。)日本のお盆は祖先の霊と一緒に過ごす期間なのだ。しかし現代の日本では、社会の発展に従って、古代に伝わってきた祭祀活動と風習の儀礼はすべてゆっくり簡略化されて、盂蘭盆会も次第に元からある祖先を祭る意味を失って、更にいくらか1つの楽しい日と家族の人々が喜んでいる日になり、それと同時に日本人が文化を繋がるために贈り物をするの日になってきて、きわめて強い社交機能を持つようになってきたのである。
それに対して、中国では、「中元節」はとても大切な節句とされていて、この時期のことを“鬼月”と云い、あの世の門が開き“鬼”と呼ばれる霊たちが、現世に戻ってくるとされている。なので、墓参りや先祖祭りが行われる。この時期には引越しや開店、結婚を避けるという慣習もある。夜には口笛を吹かないし、簫や胡琴など悲しい音色の楽器をひかないし、人の肩や頭もむやみにたたかないし、家の中で傘を開かないし、夜中に洗濯物も干さなく、取り込まない(憑依されやすい)などのような決まりがあるという。この時期、旅行も控える習慣があるらしく、平月に比べ10~15%減少するらしい。いずれにしても、中国では、中元節は1つの“死者を祭る日”と見られている。いたるところで溢れている怪しい雰囲気が非常に濃くて怖そうである。
3.2中日両国の中元節は時間と地域が違う
日本では、お盆の日にちは地方によって異なる。東京など都市部では、7月13日~16日(4日間)に行うことが多いようだ。例えば、関東地方(東京、静岡名古屋)は7月だ。しかし、その他の地区(手紙館、熊本が除く)では、8月13日~16日(4日間)または8月13日~15日(3日間)または旧暦の7月13日~16日(4日間)に行うことが多いようだ。そのほか、いくつかの地方では、陰暦の7月でして、しかし今はきわめて珍しい。総じて言えば、今の日本では、8月15日を中心に、ひと月おくれの盆行事をするのが、もっとも盛んなようだ。これは、明治になって新暦が採用されると、7月15日では、当時国民の8割を占めていた農家の人たちにとって、もっとも忙しい時期と重なってしまい都合が悪かったからだ。それで、お盆をひと月遅らせ、ゆっくりとご先祖様の供養ができるようにしたわけだ。月おくれ盆にあわせて、毎年帰省ラッシュが騒がれるのはご存知のとおりだ。
それに対して、中国ではどんな地方でも中元節は旧暦の“7月の半分”に開催され、今までそのままでいて変わらないものだ。それ以外、この節は北方より南方のほうが雰囲気はもっと濃厚的だ。それで、中日両国の中元節は時間と場所の範囲に多くの違いがあるとよく分かった。中国は厳格に旧暦の“7月の半分”を踏襲して、日本はすでに進展変化して西暦紀元の時間になった。
3.3中日両国の中元節はその催し方が違う
日本のお盆は江灯を放すこと、麻幹焚き、ウリをして、盆舟などの形式があって、これは最初中国から日本に入って来る仏教の儀式と近い。それとともに、盆踊りは日本のお盆の主要の儀式になる。盆踊りについては、さまざまな説がある。例えば:
1、お盆にもどってきた精霊を慰め餓鬼や無縁仏を送るための踊り
2、お盆の供養のおかげで成仏することのできた亡者たちが歓喜する姿を表現した
3、お盆にもどってきた精霊たちを踊りに巻き込みながら送り出すための踊り
4、悪霊や亡者たちを踊りながら追い出すもの
いずれにしても、祖先たちの精霊のために踊るものだが、同時に、私たち生きている者の楽しみの一つであり、喜びの表現でもある。
盆踊りは本来は仏教行事だったが、平安時代、空也上人[55]によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するためのものという意識になってきた。室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれている。日本のお盆の最終日“送り火”といって、霊に帰ってもらうしきたりがある。有名なのは京都の「五山送り火」だ。だが、時代とともに、宗教的意識は薄くなり、民衆の娯楽として発展してきた。地方によっては男女の出会いの場、求婚の場として、重要な行事となっていた。現代の日本では、すっかり“踊りを楽しむお祭”として各地で催されるようになっている。
現在、中国の中元節は主に亡霊、さまよう亡霊に弔いをすることを主として、主要な形式やはり焼香、蝋燭を燃えること、供えを祭ることなどだ。その他、伝統的な習慣である「紙銭(あの世で使うと言われているお金)」を燃やす儀式もある。旧暦十五日商店、個人宅など一斉に「紙銭」を燃やす。大きい紙は大きいお札、中くらいは中くらいのお札となっているらしいが、とにかく大量に燃やす。
日本のお盆の主要な形式は昔中国の福建省南部地域から伝わってきたと思う。しかしその後、多くの西側の元素を加えて、自分の独特の風俗になる。ここから見ると、中日両国の中元節は儀式の上で大きな違いがあると明らかに分かる。
上述したように、中日両国の中元節は一方では民族の“孝行”の文化を体現していて、これは中華の民族文化を伝承することを表す。一方、中日両国の中元節は長く流れている間に、たくさんの違いが生じられてきた。儀式の意義、時間と地域の範囲及び具体的な儀式の上にわりに大きな相違がある。日本のお盆はもともと中国から伝わっていったものの、時が経つに従ってもっと自分独特の元素を持っている。これからも両国の中元節は各自の特色を保ちながら続いていくだろうと思う。
結 論
“鬼”は豊かな文化を含む一文字だ。日本では、古来から、歴史上では経典文学作品にしても、今流れている諺にしても、“鬼”を題材としての内容はたくさんある。そのほか、日本の各地方では、今でも鬼に関する民俗活動が盛んに催されている。
日本人には鬼に対する独特な見解がある。日本の民俗学の創立者である柳田国男は、日本の妖怪の一番目立っている特徴はその二面性にあって、善と悪はお互いに変えることができるものであると思っている。たとえば怨霊ももしよく祭られるならば、保護神ともなる可能性があろう。日本人の目から見れば、鬼は恐ろしい面もあり、可愛い面もある。強者を敬服する気持ちを持つ日本人は鬼の強さを知ったら、鬼が悪いからと言って嫌ってやるわけにはいかない。例えば、高平鳴海[56]著「鬼」にはこう書いてある。即ち、制服できない、あるいは制服する必要のない鬼は時々鬼神と言われて尊敬される、と。
文化は人によって生じられ、同時に後代の人に心理、思想などに影響を与えていくだろう。日本の独特の鬼文化はいったん自然と融合したら、独特の自然観の表れとなる。日本のこの独特の鬼文化を知っていたら、日本語関係の仕事に携わっている私たちがさらにより一層日本民族の心及び日本文化を深く理解するのに役に立つだろうと私は思っている。
謝辞
光陰矢の如し、大学の四年間はあっという間に終わり、いよいよ卒業する日を迎えてきます。本稿は題目の選択から書き上げまで前後にして5か月も経ちました。本稿を作成するにあたり、多大なご指導とご協力をいただいた方々に、この場をかりて、心より感謝の言葉を捧げたいと思います。
まず、本稿の指導教官を担当していただいた顧盤明先生は、ご多忙中にもかかわらず、論文の仕組みから言葉遣い、並びに文の添削まで、常にご親切に真剣に文を追ってご指導くださいました。しかも、こちらの時間の不足や不便にご配慮になって下さり、苦労をいとわず、何度もわざわざ学校にいらっしゃってくださって、貴重な資料も提供してくださいまして、まことに感謝の言葉の捧げようもありません。本当にありがとうございました。
それから、この四年間色々とお世話になった掲挟先生、劉江橋先生、劉佳先生及び曾田和子先生、神田先生の方々にもいろいろお世話になっておりまして、心から感謝の意を表いたします。
参考文献:www.eeelW.Com
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[11] 铃木棠三「日本年中行事辞典」日本角川书店