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要 旨:東渡によって、徐福は、中国早期の偉い航海家である同時に、中日友好交流の先駆けであり、両国人民の間に代々仰がれている。だから、徐福についての研究は、いっそう中日両国の交流を推し進めるには、重要な役割を演じているに違いない。
キーワード:徐福鎮;徐公祠;始皇帝; 東渡
はじめに
徐福東渡は中国の文化史において重要な地位をしめている。二千余年の前、徐福は秦の始皇帝の命を受け、 童男童女数千人、 技術者、 五穀の種を船に乗せ、不老不死薬を求めて東海の三神山に向けて船出し、無数の困難に打ち勝ち、日本に渡った壮挙を実現した。これは中日友好交流の幕を開けたのであり、日本が縄文時代から弥生時代に飛び上がった主因となったのである。
しかし、徐福研究については、20世紀80年代まで、学界であまり重視されなかったことも事実である。20世紀80年代に入ってから、改革開放と経済の迅速発展にしたがい、それに、中日国交正常化をきっかけにして、徐福研究は中日学界において重要な研究課題として取り組まれるようになった。特に、近年来、中国大陸、香港、台湾、日本などの地域では、徐福研究はブームとなった。中国の国内には、多くの徐福研究機構が出来上がり、全国や地域的なシンポジウムが盛んに行われている。それに、日本と台湾と香港などの地域の学者も誘われて、学術交流に出ている。研究は歴史学から、地理学、地名学、考古学,海洋学、人類学、中外関係、旅行と経済などまで、多学的な総合性学領域に及んでいる。しかし、今まで、徐福研究には、多くの面ではまだ統一した見地をとっていないことが残っている。例えば、徐福原籍や、東渡の始発港、航海路線、最後の到着地などに、各研究者はそれぞれ違った観点を持っていて、多数の学派を形成した。
だから、雑多な論説や観点を分析し、さらにその本当の答えを探すように、このテーマを選んだのである。